織物の起毛がいつ頃から始まったかは定かではありませんが、非常に古くから行われていたことは事実で、ポンペイ遺跡の壁画の中にもハンドガード状のもので織物の表面を引っかいている光景が見られるそうです。
古くは植物の「いが」「あざみ」先のとがらせた針先などで起毛が行われていました。中でもあざみは最も結果が良く木の台に固定して用いられました。この場合、延べられた織物に一方向にあざみで引っ掻いて毛羽をかきだし、その後に再び反対の方向に引っかいて毛羽を起こしていました。
この原理は今日の起毛においてもそのまま継承されています。
あざみを利用した起毛機が最初に作られたのは1684年で、1806年にはフランスでStab起毛機(1本円筒型)と称する機械が作られていました。
この機械では正・逆起毛は布の通過方向を換えて行っていました。
1855年 パリの万国博覧会にはすでに起毛機が出品されていたという報告もあります。
この頃にはGessner社やGrossly社が針布ロールを取り付けた起毛機を、また英国ではE.Mosserが14本の複式針金起毛機を、1872年にはFranzMuller社が あざみ起毛機に代わる5本ロールの針金起毛機を開発しています。
1890年には現在のような針金起毛機が現れ、1920年にはKetting & Braun社がPIV装置による無段変速の複式針金起毛機を制作しました。
さらに年代は不詳ですがGessner社が油圧駆動式起毛機を、またTomlinson社が渦電流継手を用いた起毛機を開発し、起毛計器運転の時代に入りました。
日本における起毛は「紀州ネル」とともに発達したといって良いでしょう。
その最初は宝暦7年(1757年)雑賀氏が紋羽と称する厚手の織物を生産したことに始まるとされています。
この織物は松葉および桃の実を半分に割ったものを用い、手で織物の表面を引っかいて加工したといわれています。
明治5年(1872年)瀬戸重助氏が織物に改良を加えて現在のようなネルの製造に成功すると同時に、起毛法も一歩前進し、宮本政右衛門氏がエギと称する針を数百本並べて くし状に板に挟んだものを考案して用いました。
明治27年(1894年)大阪の天満織物会社に英国製の起毛機が設置され、これを見た和歌山の竹田某が近くの鉄工所に依頼して類似の起毛機を制作させました。これが国産の起毛機の始まりといわれています。
大正2年(1913年)に初めて電気モーターによるフランス式起毛機が輸入され、引き続いてドイツ式や英国式の起毛機が紀州(和歌山)に多く輸入されました。(それ以前はスチームエンジンを使っていたものと思われます)
昭和18年(1943年)第二次世界大戦の激化とともに企業整備と空襲により 起毛業界は大打撃を受けましたが、終戦後 復興し、現在は起毛機のデジタル化は進んでいますが、全自動化は困難をきわめています。